歴史的に見てみる「なぜ清掃がするのか?」外国編

こんにちは、二等兵です。
つい先日清掃作業監督者の講習と試験を終えました。これからは少しづつこちらの方にも力を入れて活動ができたらいいな…と思っています。

今回からしばらく道徳的なことをするよ~という話をしました。なので、その議題にピッタリな話題としてまず皆さんにお聞きしたいと思います。

なぜ清掃をするのでしょう?

なぜ清掃がする・必要なのかは歴史的な流れを見ると分かりやすいので、今回は海外の流れ、次回は日本国内の流れを見ていけたらと考えます。
(ソースに関しては、清掃作業監督者のテキストに沿って書いていきます。)

感染症との闘い

これは世界史的に見た大きな清掃に関する年表です。
清掃の歴史というのは、一言で表すと…

感染症との闘い

と、言えます。感染症・伝染病と人との闘いで、宗教・科学・医療・薬学に通じているとも言えます。その中の「医療」が清掃と関わっているといえます。

感染症との闘い

感染症に関しては紀元前からありますが、それが紀元前8000年という話があったり、5万年前から現在も受け継いでるウィルスがあるよ~という話があったりと、「想像しているよりはるか昔」から、感染症は登場しています。

病原体によって引き起こされるという事が発見されるのが19世紀終わりと、近代になるまでわかっていないのでそれまでは「厄災」と考えられていて、例えばギルガメッシュ叙事詩だったりで感染症や疾病が四厄災と言われたり、日本でも神事として禊や払いをする…などをして行動をしていました。

先ほど書いた「宗教・科学・医療・薬学」と書きましたが、人類がどう病気と闘うのが正攻法なのか?をあらゆる可能性を手探りで探している状態が、近年まで続いていたと言えます。

世界初の公衆衛生法

このような感染症との戦いの中で、進捗があったのは1848年のイギリスです。

当時コレラ禍に対して、エドウィン・チャドウィックという人が「感染の原因は、貧困と生活環境だ」と主張します。その後下水道の普及、正常な飲料水の供給をしよう!という事になり、結果としてできたのが「公衆衛生法」となります。

市民意識と法制直後のコレラ

私たちはこのエドウィンが主張した事が正だと現在ではわかります。
が、当時のタイムス紙ではこのような主張が記載されたと、監督者のテキストに書かれています。

私たちは押し付けの健康ではなく、これらの感染を選ぶ!

これはヨーロッパで市民革命(フランス革命やピューリタン革命など)を経ていることもあり、「国家が私権に介入するな」という、当時の民意が出ています。そのため、エドウィンさんの行動をしてすぐにコレラが減少したという事はありませんでした。

下水の改善とコレラ減少

詳細を書いてしまうと長くなってしまいますので、ある程度省きます。

その後コレラは瘴気(空気)で感染するという説を疑っていたジョン・スノウという方が、調査をして下水が原因だと分かります。結果として下水の改善を行い、1866年にはコレラの明確な流行が減少したとされてます。

戦病死とナイチンゲール

先に結論を言いますが、ナイチンゲールは衛生環境の重要性を広めた第一人者といえます。

当時の看護師の事情

少し回りくどいかもしれませんが、当時の看護の事情を書いていきつつ、彼女の歩みを見ていきます。

ナイチンゲールはイギリスの人で、飢饉が蔓延した際に貧困層の暮らしを見た彼女は慈悲奉仕活動をしよう!と意思を固め、看護師を目指し勉強をします。
当時の看護師の方々がどんな方がついていたか…という実情を知っている家族は反対しています。

当時の看護師の人たち

この時代の医療というのは「医者が家へ来るもの」だと考えられてます。
ちなみに当時にも病院はあります。ただし、現在のように環境衛生の考えがないため、「下層の病気の方が集う不潔な場所」とされてました。

病院がそうなら、看護師は評価がもっと低く…「専門知識がいらないお手伝い」程度で無教養な人の仕事とされてました。監督者講習では、水商売の方上がりが多く、アルコール中毒の人の多い仕事だったと話がありました。

(引用元はこちら)

野戦病院と死亡率

1853年にクリミア戦争が起き、イギリスも参戦しましたが状況が悪く、またタイムス紙に病院の状況に関する批判を書かれてしまいます。
その批判を受け、彼女と友好があったシドニーハーバードという戦時大臣が、「彼女しかこの状況をよくできない!」と考え、野戦病院に看護師団を派遣します。

色々省きますが、派遣されたある時に彼女はある事が気になります。

これ戦争じゃなくて病院に着た後で、病気になって死んでね?」(意訳)

それによって衛生環境(上下水、換気、シーツなどの洗浄など)の改善をしていくことによって、当時は42%と半分ぐらいが病院で亡くなっていましたが、半年~1年程度の時間を掛け2%まで下げる事が出来ました。

ちなみに、42%や2%と数字がありますが彼女は統計を病院に来た時から取っていました。そのため環境を整える事による死亡率低下の効果を、数字として初めて出たとも言えます。
(この事から、ナイチンゲールは医療の統計学の先駆者ともいわれています)

看護覚え書

看護とは、新鮮な空気・光・暖かさ・清潔さ・静けさを適切に保ち、適切に選んで管理する事。これらの事すべてを患者の生命力になるべく負担を掛けないように行うことを意味すべきである。

看護覚え書(助川尚子訳、医学書院より)

これはクリミア戦争後に書かれた著書で、現在のビルメンテナンス業界・清掃に通じるものがあります。不潔な環境は人の生命力に負担をかけてしまうことを彼女は示したとも言えます。

ちなみに、細菌によって感染症が起こされるという事はまだ知られていません。

感染症とWHO

細菌と感染症の関連

細菌と感染症の関係を見つけたのは、ロベルト・コッホさんです。

主に「結核菌」で発見や研究、土壌の中に存在する「炭疽菌」、「コレラ菌」も発見しました。
また「コッホの法則」というものも提唱し、「病気の原因となる微生物(細菌)を特定する方法」を提唱しました。

この後に、北里柴三郎さんがコッホの研究室に入り帰国後「ペスト菌」の発見、血清療法の考案などにつながります。が、清掃としては「細菌によって病気が引き起こされる」という事が大きくかかわってきますね。

WHOと第二次世界大戦

そこから少し第二次世界大戦が終わった後まで時代が飛びます。(先ほどの物事は1800年代)

1946年にWHO憲章、1948年にWHOがスイスで設立されます。
これの背景には第二次世界大戦で死者が5000万~8000万とされてますが、その半分以上が「戦病死」とされてます。(ただし戦病死には「凍死」「餓死」も含まれてます)

更に戦病死の大半は劣悪な環境によっておこる感染症による死だとされています。

この事により、国際的に連携を取って感染症に対策しようと協力を図る組織を作りました。結果「天然痘の撲滅」「ポリオ撲滅計画への取り組み」「コロナへの世界的対応」が行っていますね。


とここまでが、清掃業における重要な世界的な流れですね。
不衛生な環境による病気を防ぐためにどうしたらいいのか?考え、試行錯誤した結果「清潔にすることで病気が防ぐことができる」とわかり、「清潔」を作り出すために清掃が必要になってくると世界的にわかってくるのです。

では、日本国内ではどんな動きだったのかは次回(もしかしたら、間に別の記事を挟みますが)書いていきたいと思います。

ご精読ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました